美輪明宏さんの訃報が届く
【美輪明宏さんの訃報が届く】
私にとって、美輪さんは人生を変えて下さった方の1人です。この報せはただ残念な思いでございます。
私はかつて「美輪明宏 麗人だより」公式キャラクターの「ミワちゃま」を取り上げて、美輪さんをガラケーの待ち受けにすることが運気アップという取材を行なっていました。テレビ朝日・ワイドスクランブルで私のコーナー「ニュース眼力OH!」が始まった直後の頃です。その時に、初めて美輪さんとお会いし、以後、番組やロケで沢山ご一緒させて頂きました。
1つに、私がジャケット姿でニュースを解説していたところ、これからは華やかさがないといけない。もっと明るいカラーの服を着なさいと言われたのです。当時の番組プロデューサーも、美輪さんの助言ですから直ぐに受け入れて下さり、以後、私が明るい色のベストでニュースを解説するようになりました。番組プロデューサーとは、美輪さんの舞台に、美輪さんの好物をリサーチしては、手土産として楽屋を訪れておりました。
さらに、より距離が近くなったのは松岡正剛さんとのご縁です。以前にも、松岡さんの訃報の際に記しましたが松岡さんが師である平尾誠二さんと出された私にとっての座右の書「イメージとマネージ」があります。アナウンサーになった後、一時期、編集工学研究所に通っては松岡さんの薫陶を得ていました。そのことを、平尾さんに会うたびに報告をしておりました。
ある時、番組終わりの美輪さんとの雑談で、松岡さんの名前を出した際、三島由紀夫さんの昔話や、松岡さんの昔話で盛り上がり、2009年「松丸本舗」という実験的な本屋さんが3年限定で丸善本店内にオープンした際、美輪さんと3人でインタビューや企画を練っては、放送をしてきたのです。丸善本店内のエムシー・カフェで、お二方と私の3人で、お茶しながらの打ち合わせは、当時20代の私にとっては、とてつもなく大きく中身の濃い時間でありました。
美輪さんから言われた事は「常にベストを尽くしなさい。」という事です。前述のカラフルなベストが私の衣装になったのも美輪さんの「ベストを尽くす」にかけているものでありました。瞬間、瞬間にベストを尽くす、直感を信じて前に進む。私にはこれしかないというのです。不思議なことに判断に悩んだ時は必ずと言って良いほどプラスの方向に進みません。
2000年代前半に、美輪さんに知遇を得なければ、私はプラスの道を進めていなかったかもしれません。都議会議員になって2018年には名誉都民顕彰で都庁でお出迎えする事が出来ました。「人には必ず役目がある。」その哲学を後世に遺された美輪さん。私も他との比較を避け、自分含めて、それぞれの生きる道を進むのがベストだと悟る事も、最近になってようやく実践出来るようになってきました。
哲学的に、大きな影響を受けた美輪明宏さんも、松岡正剛さんも、そして私はお会いする事はありませんでしたが、お二人からよくお話を伺った三島由紀夫さんらが現代社会を空から見つめて、何を思っていらっしゃるでしょうか。私は良い意味で期待を大きく裏切る日本を作っていく使命を持っていると自負しています。
美輪さんが生前に綴ったメッセージが公式サイトで公開されております。
《こんな世の中を生き抜く武器は愛の言葉しかありません この世のすべての問題を解く鍵は愛です 愛があれば戦争なんか起こりません 美輪明宏》と平和の重要性を説いた遺言です。
こんな時代だからこそ、我々政治家が噛み締めなければなりません。
本当に美輪さんにおかれましては、その壮絶な半生、本当にお疲れ様でございました。謹んでお悔やみを申し上げます。
さらに、私は三島由紀夫が昭和43年に書いた文章を思い出しました。
『実は私は「愛国心」といふ言葉があまり好きではない。何となく「愛妻家」といふ言葉に似た、背中のゾッとするやうな感じをおぼえる。この言葉には官製のにほひがする。また、言葉としての由緒ややさしさがない。どことなく押しつけがましい。反感を買ふのももつともだと思はれるものが、その底に揺曳してゐる。』
深い考察です。合掌
![川松真一朗 ・町田市|衆議院議員[自民党公認]](https://kawamatsu2011.com/wp-content/uploads/2026/02/title_banner_2026.jpg)



